激しい雨が止んだ夕方、訃報が届きました。13年前の就農当初からずっとお世話になっていた方で、塩づくりでもずっと手をかけてくれた大恩人です。
最近は軽トラに乗れなくなったものの、セニアカーで移動しては相変わらず野良仕事をしている元気な方でした。つい先日、道ですれ違った時は「よぉ」なんて手を普通にあげてくれていたのに。
私は彼に田んぼを教えてもらいました。忘れられないのが鍬での畦塗り。どうしてあんなに腰が曲がっているのにペッタンペッタンできるのかと不思議だったものです。
次の日に田んぼに行くと、私が疲れ切って出来なかった部分の畦塗りが終わらせてあり、写真のように笹が立ててありました。当時の僕はめちゃくちゃかっこいい!と感激したものです。
餅を切るのが上手で、保育園の餅つきにもきてくれて子供達もお世話になりました。
地区の困りごとがあった時も相談にのってもらいました。
塩釜を作る時も、作ったあとも、薪を作ったり火の番をしてくれたり、ずっとずっとお世話になりっぱなしでした。
振り返れば僕は何もお礼をしてなかったんじゃないか。それは当たり前にそこにありすぎて、今ものすごく後悔しています。
3枚目の写真は13年前。地区の方と親睦を深めるためにもと、彼に声をかけられて手伝いをしていた干し大根。この写真に写っている方、1人を残してもうみんな旅立ちました。
残された私にできることは、やっぱり続けていくこと。彼に教わり10年続けた田んぼはやめてしまいましたが、塩づくりはしっかりと繋げていきたいです。そして、電柵が手に入ったら田んぼもまた再開したい。
みなさんにお届けしている塩も、彼がいてこその塩でした。
ありがとう。ゆっくり休んでください。
どうか、みなさんも一緒に目を閉じて、一度思いを馳せていただけたらと思います。
一年前ぐらいにテレビの取材に協力してくれた農家さんが、自分で栽培したマンゴーを届けてくれた。ディレクターのHさんに渡してくれと言う。
最初電話でHさんの名前を言われ、はて、一体誰のことを言っているのか、なかなか思い出せなかった私。
取材の時、たぶん挨拶程度に「マンゴーができたら買いに行きます」と言うようなことを言ったのだと思う。その言葉、名前、約束を、彼はきちんと覚えていた。
最初は「テレビに出るなんて夜も寝れなくなる」と断られたものの、みんなで説得の上で出てくれた。あんなに嫌ががっていた彼が、テレビに出ることを親戚中どころか農協の職員にまで告知していてビックリした。
そのぐらい、彼にとってはすごいイベントだった。
そんな気持ちが、今日立派なマンゴーで帰ってきた。
心が美しすぎて涙が出る。忘れていた自分が憎らしい。
このマンゴー、どんな味がするんだろう。
必ず、Hさんに届けます。
#大切なこと