昨日も配達でジュースやケーキやこんな沢山の気持ちをいただきました。いつもいつも本当に幸せな気分です。
最近「なぜ農業に?」と聞かれることが多いけれど、沢山ある理由の一つはこれだなぁ。
雑誌広告やポスターは見てもらえているのかよく分からない。パッケージとか販促云々の役割は「伝達」でしかなくて、役目を終えたらゴミになっちゃう。
Webは数字で反応がかえってくるばかり。ゴミになるどころか存在すらしていない電気信号で、、、いつの間にか消去されてしまう。
ものづくりが好きなのは目の前で誰かが喜んでくれるからだったんだよね。どうやら「表現」や「伝達」という手段の中で今まで必死で虚無と戦っていたらしい。
誰かを喜ばせる方法はいろいろあるけれど、食べものは心に直結しているから反応がとてもリアル。農業は商売でもあり、シビアな分よい反応も素直に心に入ってくる。
ここくはそろそろ2年半ぐらいになるけど、自分1人が役に立てるのは100人ぐらいが限度だと思えてきた。
不特定多数の100人にではなく、限られた顔見知りの100人のために毎日頑張れたらどんなに幸せかなと思う今日この頃。
雨が強く降ってきたので雨宿り。自分で建てた小屋で聞く雨音はなんとも心地がいいのです。
#作業場
地区の先輩が突然亡くなられた。あんなに元気だったのに。これからお通夜に行ってきます。
#人々
@ettchan 夏に田車を借りたのが最後になりました。また1人畑に立つ人が減りました。どんどん寂しくなります。
命は本当に、一瞬にして消えてしまう。あっけなく。後悔の無いように、人と関わっていきたいです。
畑の近くには九州で一番古い発電所があります。
約100年前、初めて地区を灯した小さな発電所を動かすのは川の水。山あいを流れてきた美しい水は水路に入り、木立の中を通り抜けて発電所へ。
水路に舞い落りた沢山の落ち葉は発電所に流れ着いて溜まります。
その落ち葉を、私が腐葉土として貰い受けることになりました。
とてもいい色。よく見るといろんな色をしています。かつてはみな青々と輝き、陽の光を浴びていたのでしょう。
この土に詰まった沢山の命のかけらがまた新しい命を生み出し、その命がまた私たちを育んでくれる。そして私たちはいつか土に還り、またあの森を育む。
人は自然を外から眺めているのではなく、本当は自然の流れの中で儚く生きている。
この腐葉土から野菜を作るのはそういうことだと思いました。そこからの景色はきっと儚いから、陽の光を浴びて青々と輝いているに違いありません。
@mitsu__hiro せっかくだからちゃんと収穫しようと思います〜
胡麻は昔、祖母宅に軒先に逆さまで干してありました!