2025-12-23 v0

「手前味噌で申し訳ありません」

この言葉には、「私が手で仕込んだものを貴方様に食べさせるなんて申し訳ない」という想いがあります。目に見えないものを大切にする、なんとも日本人らしい気持ちです。

知らない人が触ったものが苦手という気持ち。逆に、家族や自分が仕込んだものは愛おしくなる気持ち。そんな気持ちを大切にして、いつも味噌づくりでは自分しか触らない形で開催してきました。

でも、今回の100人漬物は違いました。漬物をつけるだけではなく、たくさんの人が一同に介して仕込む。そこに意味がある企画。

多様な常在菌が混ざり合うことで一体どんな味になるのだろう?…開催前はそう感じていましたが、大切なのはそういった「味」という物質的なことではありませんでした。

みんなで麹と塩を混ぜる「塩切り」を、じっくりと時間をかけてしていくと、どんどん麹が動き出して香りがどんどん立ち始めました。みんなで大豆を手で潰していたら、どんどん空気が温かくなって、ホカホカになりました。

その過程の中で参加者同士も打ち解け、仲良くなっていき、最後には「みんなで仕込んだ味噌」ができあがったんです。

知らない人が触ったというあの嫌悪感はなくなり、複数人で作ったお味噌も、その時の思い出とともに愛おしくなるような味噌。まさにヒト同士が発酵して角が取れて馴染み、発酵したのです。

菌の世界でいう「酵素」は、人に例えるなら「言葉」でしょう。私たちは相手を理解しようと言葉を発し、目の前の人を受け入れようとする。そのために自分のぶつかってしまう部分をなくしたりもして、互いに角が取れ調和が取れ、一つの形で収まる。

生きるって、そういうことなのかも。

味噌の熟成も、土の中も、身体の中も、私たちも、みんな沢山の個性が集まってぶつかり合いながら、仲良くなろうと発酵している。他人と関わらずとも現代は生きていけるかもしれないけれど、それは死んでいるのと同じ。

個人主義や優生思想は、私たちから生きる意味や喜びを奪ってしまったのかもしれません。今、発酵をブームに「発酵食が身体にいい」と私たちは取り入れようとしているけれど、それよりも大切なのはまずは人との関わり合いかもしれない。

どんな食べものも、目に見えていないだけで実際はたくさんの人の手を介してできあがっています。そこに目をつぶるのではなく、誰がつくったのかを知り、理解していくことこそが生きる意味なんだと思うのです。

知識だけを振りかざし、優生思想で発酵を勧めることに感じていた違和感はまさにそれでした。今回の100人漬物にはその作物をつくった生産者がいたからこそ、本当に発酵したんだと思います。

そして目に見えないものを大切にし、和を重んじる日本人に生まれて本当によかったと思います。この無謀とも言える企画に賛同し、全国から集ってくれた素晴らしい方々に心から感謝いたします。遠いところをご参加いただきありがとうございました。

@hakko_fes