自然栽培し、
船で汲み上げた沖の黒潮から
塩もつくっています。
それらの自家製原料から、
味噌・醤油をはじめとする発酵調味料をつくり、
その発酵の技術を使って、砂糖を使わない
お菓子もつくっています。
食にまつわる「おはなし」を伝えます
食べものをどんな風に選んでいますか?
「おいしい」「見た目がきれい」「体にいい」「安い」。おおよそ、それらを基準にして私たちはお買い物をしています。
その気持ちに応えるように、食べものは「モノ」としてこれまで「品質」が追求されてきました。
いつも「おいしい」って言ってもらえるように添加物を
いつも「きれい」って言ってもらえるように薬を
「体にいい」って言ってもらえるように効能を
「安く」提供するため、同じ形のものをたくさん詰めて効率良く・・・
安くておいしくてきれいで体にいい食べモノ。いつでもどこでも買えるようになって便利だけれど、何かポッカリ心に穴が空いたような感覚はなんでしょう。
商品を手にとって生産者の顔写真を見たり、ラベル表示を見たりして遠く想いを馳せてみます。・・・でもやっぱり、作ってくれた人の心までは見えないし、食べ物が育った自然の風景は見えてこない。
故郷のおばあちゃんからお芋が送られてきました。毎年隣の畑で作っては、いきなり送られてくるお芋。
あの風景の中、あのおばあちゃんが、一生懸命つくってくれたお芋。無造作にダンボールに泥だらけで入っているけれど、そんなに甘くなくたって、ちょっと見た目が悪くたってきっとおいしい。「体にいい」から食べるんじゃないし、値段なんてもちろんありません。
ありがとう
いただきます
ちゃんと感謝して食べられること。
おなかも満たされるけれど、心も満たされる、あの豊かなおいしさ。
「おいしい」「美しい」「体にいい」「安い」
それも大切かもしれない。でも一番大切な「おはなし」も食べていたい。
だからここくは「おはなし」をたくさん伝えています。
今日あったこと、出会った人、心動かされた自然の風景を。
古来からの贈りもの・在来種を大切に
意外と知られていませんが、種は毎年更新していかなければたちまち芽が出なくなってしまいます。つまり、その種がそこにあるということは、今まで毎年欠かすことなく植えた人がいたということ。
『子供たちにこの種を残そう』
きっとそんな想いで、親から子へ、孫へと世代を超えて種は受け継がれ、長い長い時を経て現代に辿りついた本当に貴重なものです。
古来から送られてきた種は、一粒一粒に個性があるものです。
大きいもの、小さいもの 成長が早いもの、遅いもの 色がつくもの、つかないもの 病気に強いもの、弱いもの
しかし、そんな想いと共に伝わってきた古来からの大切な大切なおくりものは、このわずか何十年の間に次々に消えてしまいました。
効率を優先するなかで、こんな個性は邪魔でしかありません。全て同じ個性のものが育つように、たくさん大きなものがとれるように。これまで沢山の種が開発されてきました。
そして多くの人が「大きい」「きれい」「おいしい」「安い」という理由で個性のない優秀な種の食べ物を買うようになると、誰もが古くから伝わってきた種を捨て、種苗会社の優秀な種を買うようになりました。
今私たちが食べているもののほとんどは、全てが同じ形になるよう2つの品種をかけあわせてつくった種、通称「F1(エフワン)」と呼ばれる種です。最近は遺伝子を操作して、自然界では起こり得ないかけあわせをした品種なども海外で開発されています。
こうした改良品種には権利があり、勝手に受け渡しをすることはできないのがひとつの大きな問題です。・・・つまり、食べるためには毎年メーカーから種を購入しなければならないことになり、完全に食(=命)を企業に依存することになってしまうのです。
さらに遺伝子組み換え作物に関しては、自然界のものと交雑して遺伝子が汚染されるおそれもあり、自然に生えているものにも権利が入り込んでいくという、もはや「異常」ともいえる事態となってきました。
昔から伝わってきた在来種にはこうした権利が及ぶことはありません。そうした意味で、こんな権利の及ばない種を大切にしようという動きが世界中で広まっています。
個性にあふれる種があったころ、食卓にはこんな会話があったことでしょう。
この大根の形、面白いね 今日はたくさん大きいのがとれたよ! 今年のは甘くておいしいね
きっとお買い物ももっと楽しかったはず。「個性」は食べものへの愛情へとつながり、畑に立つ人、種を受け継いでくれた人への感謝につながります。
手を合わせて「いただきます」
たくさんの人の想いに囲まれて、感謝とともにご飯を食べることができました。
「ちゃんと感謝できる食べものを作りたい」と思います。おはなしのある食べものを届けるうえで、種の歴史はとても大切にしています。
ここくは、もう誰も育てなくなってしまった種、昔からその土地で受け継がれてきた「在来種」を探し歩き、様々な人に出会いながら種を譲って頂いて育てています。
大切にしているタネ一覧
裸麦(はだかむぎ)
(写真:中段右)以前は誰もが育てていた六条大麦。モミがポロっと手でとれるのでこの名前で呼ばれます。平家祭りで出会った椎葉村に住むおばあちゃんだけが大切に育ててくれていました。ここくの麦は全てこのおばあちゃんから受け継いだ麦です。麦味噌やごはん麦、むかし麦茶で販売しています。
麻尻大豆
(写真:下段左)宮崎と大分の県境にある高千穂町の土呂久地区で伝わってきた、とても小さな大豆。麻を植えたあとに種をまいたことから地元では「麻尻(あさじり)大豆」の名で呼ばれていました。少し粘質なので味噌にするとねっとり感がたまらなくおいしいんです。高千穂を訪れ「大豆を探しているんですが・・・」と人から人へと紹介していただき慎市さんに出会うことができました。ここくの味噌、ごはん豆はこの大豆です。
小豆、黒大豆
(写真:中段左、下段右)お味噌を仕込んでいる加工場のむかいに住んでいるおばちゃんがもっていた、清武に伝わってきた小豆と黒大豆。小豆は少し変わっていてサヤがとても長くたくさん獲れる。味も北海道の金時と違いしっかり豆の味がしておいしい。収穫・選別が大変なためそれほど作っていませんが、たくさんとれた年は年末に少しだけ販売しています。
もちきび
(写真:上段左)宮崎市内に伝わってきたという実が赤いトウモロコシ。トウモロコシのように甘くはなくて、物足らない感じはするけれど、モチモチしていて結構癖になる。公立大学で民俗学を研究している永松敦先生が開いた在来種の大切さを伝えるフォーラムで出会いました。ようやく種がたくさんとれたので今年はたくさん植えてみそみそ便で配れるようにしたいと思っています。
おやし豆(極小黒大豆)
(写真:上段右)地主さんの軒先に生えていた一株の大豆。珍しい小粒の黒大豆で、もやしにすると見たことがないようなとても長いもやしになります。地元では「おやし豆」と呼んで、正月の雑煮に入れていたとか。麻尻大豆と植生が全く同じで驚き。10粒ほど種をわけてもらい、ようやく200粒ぐらいに。今年はたくさん植える予定です。
米良大根(めらだいこん)
宮崎市内に住む丸野さんからわけていただいた大根。宮崎の西米良村(にしめらそん)に伝わってきた大根で、生で食べるととても辛いけれど、糖度が普通の大根よりも2度高いと言われる味が豊かな大根。肉質もしまっていてカブと大根の合いの子のようなおいしい大根です。
丸オクラ、四角豆
F1ではない種を購入して、大切に毎年更新しています。野菜が少なくなる夏に食べられるのでとても助かっています。
種が欲しい方へ
「種を売ってください」と言われますが、種は私のものではありません。「豊作だったら倍返し」という約束で無償でお渡ししています。これは麻尻大豆を譲ってくださった高千穂の慎市さんに教わった方法です。
無農薬・無肥料の輪作自然栽培
ここくは農薬を一切使用しないだけでなく、肥料も入れない「自然栽培」で麦・大豆を栽培しています。
肥料を入れなくても麦が育つのは大豆が土を肥やす力を持っているから。大豆の根に共生する根粒菌が、作物の成長に必要な空気中の窒素を地中に固定してくれるため、肥料を入れなくても土が肥え、次に植える麦の成長を助けてくれるのです。
おもしろいことに、根粒菌は窒素分が多い土の中では働きません。麦が窒素を吸い上げるから根粒菌が働き大豆が育つという、お互いになくてはならない関係です。このように同じ畑で麦と大豆を栽培する形を「輪作」といいます。「自然栽培」というと何か新しい特別な栽培方法のようですが、大豆と組み合わせて輪作をするこの栽培方法は特に真新しいことではなく、先人達が古来よりずっと行なってきた農法です。
「麦秋」という言葉があるせいか、「麦の収穫は秋」と思われる方が多いですが、麦の収穫は梅雨前の5月末。5月の連休明けには麦の穂が黄金色に色づき黄色い絨毯が広がります。春風に揺られカサカサと音を立てながら波打つ麦畑は白昼夢のような美しい光景です。
麦は収穫時期を逃してしまうと梅雨になり、乾燥した状態で長雨に降られると真っ黒にカビてしまいます。特に湿度が高い状態になり赤カビが発生してしまうと出荷できないことになっているため、一般的には黒カビ防除、赤カビ防除のための農薬を3-4回散布することになっています。減反政策の一貫で水はけの悪い田んぼで麦を栽培するところが多く、カビを防ぐための農薬散布は欠かせない作業です。
「農薬とカビ、どちらをとりますか?」という二択で農薬の必要性を訴える方がいますが、決して二択ではありません。まずは収穫時期を逃さないこと、そして水はけの悪い田んぼでは作らないこと、さらに密植をせず風通しをよくすること。この3つを守っていれば農薬は必要なく、すべては農家の腕次第です。
麦はこのように栽培密度を減らして風通しをよくすることで無農薬を実現していますが大豆はどうでしょう?
大豆に関してはカビの心配はほとんどないものの、カメムシやガをはじめとするさまざまな虫による被害がとても大きい作物です。一般的にはこのさまざまな虫に対抗するために、さまざまな農薬で虫を殺し、収量が減らないよう努力します。
自然栽培の大切な考え方として「多様性」という考え方があります。もし畑に生えている作物が全て同じ性格だったとしたら、ひとつに虫や病気が入ることは全てに拡がることを意味します。しかし、農薬を使わず様々な性質をもった多様性のある畑になっていれば、虫や病気が入ったとしても、弱い個性をもった部分はやられてしまいますが、全てがダメになってしまうことはありません。
ここくの大豆畑には実にたくさんの虫がいます。実際に被害もありますが、同じ種類の虫ばかりが大発生して全てがダメになるということはありません。
品種もとても大切。改良された一般的な大粒大豆は虫にとっても大好物で、サヤも一箇所にまとまってつくようになっているため被害が大きくなりやすいですが、ここくの育てている在来の小粒大豆はサヤが小さく、バラバラといろんなところにサヤがつくのでそれほど被害は大きくなりません(その代わり収穫や選別は大変)。
実際のところ、収穫量を大きく左右するのは虫の影響よりも天候です。そのため、最初から天候が悪く、虫にもやられてしまった最低の収穫量を前提に、なるべく広い面積で大豆を栽培しています。仮に予定していた量がとれなかったとしても、天候がよく豊作だった前年の大豆を備蓄として大切に保管していれば量の調整ができるので問題ありません。
「平成29年産」というような表示から、「1年経ったら古くて食べられない」と勘違いされてしまいがちですが、大豆はきちんと保存しておけば少なくとも2、3年はおいしく食べられるものです。きっと古来の人たちも、こうした穀物の備蓄を怠らなかったことでしょう。そんな風に工夫していけば、虫に食べられやすい大豆も無農薬で栽培するのは何も難しいことではありません。
ここくではこのように、効率や低価格を優先せず、自然の多様性をもった環境の中で、さまざまな生き物とともに昔ながらの方法を取り入れながら無農薬・無肥料の輪作自然栽培を実現しています。
さようなら健康情報
テレビやSNSなどで毎日のように「体にいい」「体に悪い」という情報を目にするようになりました。「体に悪い」という情報をみるたびに私たちは不安になり、「体にいい」と言われる情報は無条件に受け入れたくなります。
「ビタミンEは抗酸化作用があり、がんになるリスクを下げてくれる」
こんな言葉を耳にした時、人によってはサプリメントを買って積極的に摂ろうとする人も出てきます。しかし実際のところは怪しいどころか、サプリメントでは摂らない方がいいことになってきているのをどれだけの方がご存知でしょうか。
ビタミンEの発がんリスク
抗酸化ビタミン含むサプリメントで寿命が縮まる!
抗酸化サプリにがん転移促進作用か、マウス実験 米研究
こうした「体にいい」といわれる情報も、ちょっとよく調べてみるとこんな状況です。
最近では私のところに「麦のフスマが欲しい」と問い合わせをしてこられる方がいらっしゃいます。「糖質オフ」のパンを作るために麦の表面を削った粉、フスマを使うというのです。しかししぜんのページでご紹介したように、麦のフスマには農薬やカビが含まれています。農薬の安全性を調べる検査では当然そこまで圧縮された状態を予見せずに行なっていないため、十分に注意する必要があると思います。
私たちは科学者ではないので、体にいい・悪いといった情報の真偽を確かめることはできません。なにより、こうした情報によって異常に神経質になっていること自体が不健康のような気もします。 こうした様々な情報とはどう付き合ったらよいのか・・ずっと考えてきましたが、その答えは土が教えてくれました。
自然栽培は「ほったらかし農法」だと勘違いされている方が多いのですが、おそらくそれは「人が手を加えないことが自然」だと思っているからでしょう。人は常に自然をコントロールするために自然を破壊し、自然の調和を取り乱す存在。そんな風に大部分の方が考えています。
ところがよく考えて見て欲しいのです。人は自然の外にいて自然を眺めているとしたら…私たちは一体なんでしょう?鉄でできたロボットでしょうか? ・・・いえいえ、私たちだって「自然」のはずです。 麦をまくこと、収穫したあとの麦わらを土にすき込むこと、大豆をまくこと、収穫した大豆の枝を燃やして土にもどすこと。そんな人の営みのリズムは季節の変化と何も変わりません。そうした人の営みも含めた環境に対して、土は時間をかけてゆっくりと馴染んでいきます。
多様な微生物や虫が複雑に絡まり合いながら馴染んでいく・・・この感覚は毎日土に触れていないといまいちピンとこないかもしれません。でも、みなさんが毎日直面している「人間関係」も全く同じなんです。
様々な個性をもった人たちが会社を作ったとします。個性は時にぶつかり合い、争いが起きたりもしますが、それぞれ会社にとっては必要な個性。次第に間に立つ人も出て来たり、争いが起きる前に回避するようになったり、最終的にはなんとか丸く収まるものです。
個性は互いに足らないところを補い合い、時が立てば立つほど強固な関係性を作り出していきます。同じ状態が10年経ち、互いに認め合う多様な個性をもった会社は少々のトラブルにも負けることはありません。
土の中で起きている微生物や虫の関係もまったく同じです。毎年同じことを繰り返す自然の営みにあわせ、ゆっくりと衝突を繰り返しながら環境に馴染んだ強固な関係性になっていく。それは自然の本来持っている性質です。
もし、人の「体」も土と同じ「自然」だとしたらどうでしょうか?
そこから見えてくる「体にいい」ということ・・・それはまちがいなく特定の食べものや化学物質ではないでしょう。 同じことをくりかえすことで体の中の多様な個性が馴染みあうとしたら、大切なのはきっと「日々の食生活」。旬のもの・土地のものを食べることがいいと言われるのは、毎日・毎月・毎年、同じものを口にすることで体が環境に馴染み、強く安定した状態になれるからではないかと思います。
そんな強固な関係性をもった体であれば、少し「体に悪い」といわれているようなものを食べたってどうってことはないはず。逆に「体にいい」ものばかりを食べる必要もないはずです。個性が多ければ多いほど、そしてその個性が馴染みあっているほどいいはずです。
多様な個性に溢れた体になるためには、多様性のあるものを食べることではないかと私は思います。
必要最低限の養分で育てられた化学肥料のものより、有機栽培や自然栽培で育てられたものを。
均一な味を目指して作られた添加物入りの食べものよりも、無添加で季節によって味が変化する自然のものを。
同じ大きさ・同じ色でそろえられた規格にあったものではなく、さまざまな形・大きさの不揃いなものを。
昔は当たり前だった、こんな多様性のある食べ物が今ではほとんど手に入らなくなりました。最近問題になっているアレルギーも、もしかしたら体が多様性を失い、個性が少ない単一な体になっているからかもしれません。
こうした多様性を大切にするために、ここくはできるだけ「自然」なものを送れるように努めています。不揃いなものができる在来の種、過度な選別はせずA品もB品も豊かな個性を楽しめるように。お味噌はもちろん無添加・天然醸造。様々な種類の菌が生きていて、季節によって味が変わります。
多様性のあるものを口にし、季節を楽しみながら楽しくおいしい日々を過ごすこと。たまに外食をして何を食べたっていいけれど、日本人なら米・みそ・お茶など、基本となる食を日々の食生活に取り入れること。旬のものを食べることで毎年同じ時期に同じものを食べること。
多様性が安定して共存している強い体、まさに「自然体」になることが、土が教えてくれた「体にいい」の答えなのかもしれません。
代表紹介
宮崎に移住して8年が経とうとしています。写真は出店しているところに来てくれた子供たち。移住して来た当初は園児だった子供達も、今では小学校の4年生と中学1年生です。 私は静岡県の浜松市に生まれました。高校を卒業して富山に4年住み、大阪で3年半修行してグラフィックデザイナーになります。その後独学でWEBデザインを勉強して東京へ。2002年にフリーになってからは大手化粧品会社のWEBサイトをはじめ、ありとあらゆる業種のWebサイトを製作させていただきました。
10年住んだ横浜。新横浜に借りていた事務所では、いつもひとりでパソコンの画面に向かっていました。仕事の報酬は銀行に振り込まれ、増えたり減ったりする数字を追いながら、時間に追われてなんとなく日々は過ぎ去っていきます。命を削るように睡眠時間を減らし、徹夜をしてつくりあげるものは実体のないデジタル信号でした。
「全てが虚無なのではないか?」・・・時折そう錯覚することもありました。
そんな虚無感を抱えながらいた時、偶然手に取った文庫本。スローフードの本でした。それまで全く「食」というものに関心がなかった私にとって、書かれていた内容は目から鱗のことばかり。その時、「食」の向こう側に自分の虚無感を埋めてくれる何かがある気がしたのです。食にまつわる多くの社会問題についても初めて知ることとなり、「伝える」仕事をしている以上、こうした意義あることを伝えられたらどんなにやりがいがあるだろうとも感じました。
それから食に関する本を片っ端から読むようになり、食の情報を網羅するサイトを作ったりもしましたが、やはり情報だけ画面越しに見ていても本当に大切なことは何もわからなかったのです。気づけば自ら畑に立ち土に触れたくなっていました。
ひそかに妻のふるさと宮崎への移住を決め、5年間の準備期間を経てあと1年で移住という2011年3月11日、東日本大震災が起きました。子供たちを連れ最初は一時避難のつもりで宮崎にきましたが、結局移住の計画を前倒しして義理の母のところに転がり込むことにしました。
横浜の事務所など全て引き払って急遽やってきた宮崎。保育園や子供の病院、仕事など、いろいろ環境が落ち着いたころから念願だった農業研修へ。1年後に自分で畑を借りて2013年5月に「ここく」が生まれました。
急な予定変更はいろいろと大変でしたが、たくさんの出会いに恵まれ、とてもいい決断だったと思っています。また、東日本大震災で感じたことはものすごい大きなものがあり、間違いなく今のここくに大きな影響を与えています。
・・・もうひとつ、大きな影響を与えていることがあります。 無農薬で栽培する理由です。
宮崎に移住することを決めた頃、4歳になって間もない息子の顔がむくみ出し、保育園の尿検査でひっかかりました。再検査に行くと即入院。腎臓の病気です。すぐに終わると思っていた入院はズルズルと3ヶ月も続き、下の娘はまだ1歳だったこともあって生活が突然めちゃくちゃになりました。
毎日30分地下鉄に揺られて面会に行く日々。「うちの子に限って大丈夫」という根拠のない期待は検査結果を聞くたびに裏切られました。転院などもしながら何度も何度も検査をした末、小さな体にカテーテルを刺し、直接腎臓の組織を採取することでようやくつけられた病名は「IGA腎症」。インターネットで調べてみると一番見たくなかった文字が目に入ってきました。
「難病」・・・原因不明、治療方法は確立されていないとのこと。よい経過をたどったという報告がいくつかあるという、ステロイドを大量に投与する治療はあまり効果もなく、顔の形だけがどんどん変わっていきます。何をされているかわかっていない無邪気な子供の姿は見ていて本当に辛いものでした。
特に辛かったのは小児病棟に大人が泊まれなかったことです。毎日午後から面会が許されますが、20時になったら「行かないで〜!!」と泣き叫ぶ息子を振り払うように家に帰らなければなりません。地下鉄に揺られながら、がんばっている息子を置き去りに背中を向けてどんどん離れて行く感覚。時に「非情」にならなければいけないほど、それは過酷な帰り道でした。
親が泊まれないのは厳しい規則ですが、小児病棟にいるのはステロイドを投与され免疫機能が下がった子供達です。病棟は厳重に隔離されており、その子達を守るための止むを得ない規則でした。
ある日、新しく同じ大部屋に入って来た子がインフルエンザを発症し、うちの子供が大部屋ごとたった一人にされて隔離されたことがありました。病院から連絡を受け、顔面蒼白で会いに行くと、感染しないよう帽子・エプロン・マスクの完全防備での面会。当然といえば当然の処置ですが、親にまでバイキン扱いされているような対面は申し訳なくて悔しくて・・・そんな気持ちをよそに、息子は嬉しそうに今日読んだ絵本のことを教えてくれるのでした。
親として何もしてあげられることができず、なんでも治せると思っていた西洋医学はあてにならず、ワラをも掴みたい想いで過ごしていた時、保育園の先生達がこんなものをもって病院を訪れてくれました。クラスのお友達がうちの息子と遊んだ日々を思いながら「またあそぼう」「ずっとともだちだよ」とメッセージを書いて送ってくれたのです。
みんな赤ちゃんの頃から見ている我が子のような存在です。すっかり病室に取り残されてしまった息子でしたが、みんなしっかり覚えていてくれました。
こんなにたくさんの子たちが想ってくれている。 だからきっとよくなる。
・・・なんの根拠もありませんが、そう信じる勇気をもらいました。「想い」という、科学では馬鹿にされてしまうようなこと。科学は何でもできる、人間は何でも治せると信じていた自分を恥じながら、「感謝」とともに涙を流して泣きました。
そんなみなさんの甲斐あってか、半年後に行なった扁桃腺摘出手術のおかげでみるみる状態はよくなり、宮崎に転居してからもよい先生にめぐまれ、3年間の薬の服用、服用終了してからの経過観察も順調に経過。今では寛解(かんかい)状態となって(完治はありません)毎日元気にサッカーで走り回っています。
「原因不明」ということでしたが、私は食に原因があったのではないかと考えています。当時から決して気をつけていなかったわけではないのですが、やはり考えが甘かったのではないか…とたくさんたくさん後悔しました。発達段階の幼児が食べて影響があるかどうかなど、調べようがないのです。安い、おいしいという理由で、「うちの子に限って大丈夫」と都合よく解釈していたことを心から後悔しました。
健康な方にはなかなか分かっていただけないですが、体が悪くなった時、特に自分の子供など、大切な人と突然会えなくなってしまう悲しさを知っていたらこれほど気をつけたいことはありません。一緒においしくごはんを食べられるって本当に幸せなことです。
効率を優先するあまり見失ってしまう大切なこと。多くの人は何か異変があってから気づきます。 当然のことですが、ここくが作っているものは私たち家族も食べているものです。
・・・そんないろいろなことがあって、今ここくがあります。
私たちの体験した辛い日々、息子が身をもって教えてくれたことを無駄にしないために。みなさんが毎日笑って健康でいられるように。 確かな食をこれからも届け、食を通じて大切なことを一人でも多くの方に伝えていけたらと思います。
「ここく」の意味
2011年3月11日に起きた東日本大震災ではたくさんの教訓がありました。
当時首都圏に住んでいた私が目にしたのは、電車が止まり都会に閉じ込められて家に帰れなくなった人たち、電気や水道などのライフラインの危機、そして買い占めにより食べ物が消えたがらんどうの棚。
帰りたくても帰れない。 電気を止められたら何もできない。 お金はもっているのに食べものがない。
とても便利だけれど、システムが止まったら生きていけない。
大きなシステムの中にいた弊害を目の当たりにしながら、余震が続く中でも会社に行こうと駅へ向かう朝の奇妙な光景。
「お金はもっているけれど僕は何もできないじゃないか」と裸の王様のように情けなくなりました。
農業をしようと思ったのは震災のずっと前でしたが、より一層「自分の食べ物は自分で作れるようになりたい」と思わされたのです。
それから3年。自分で育てたお米、自分で作った麦・大豆で自分で仕込んだお味噌、自分で育てた野菜でついに「自分づくし」の夕食をつくることができました。
ところが。
確かに自分で作りました。けれど、ここに至るまで道のりを思うとそうでもないのです。農業を教えてくれた先生、畑を世話してくれた地区の先輩、よそ者の私に快く貸してくれた地主さん、タネを分けてくれたおばあちゃん、塩をつくってくれた平田さん、加工場を貸してくれた鈴木さん・・数え上げたらきりがないほどたくさんの人のおかげでこの夕食ができています。
きっと震災の時私に足りなかったのは「自分でつくれないこと」ではなく、「つくる人との関係」だったと気づきました。
「自給自足」という言葉にかつてはとても憧れました。でもそれを後押ししていたのは「自分さえよければいい」という個人主義と、「こんなに私は自分で作れる」という他人への優越感。・・・どうやら便利な社会システムの基本になっている徹底的な個人主義のうえに成り立っていたようです。
誰の世話にもならず、自分ひとりで完結する「個」の世界。しかしやってみればわかるように、それは幻想でしかありません。どこまでいっても、人は一人では生きていけないんです。
今、私は買い手から作り手になり、食べものを届ける側になりました。もっと作り手と買い手が信頼関係で結ばれたらいいなと思います。
「個の時代」に別れを告げて。
「個」と「個」が手をたずさえていくように。
「ここく」にはそんな意味も込められています。
4年前からはじまった「みそみそ便」。このお味噌やごはん麦、お野菜を届ける宅配は、そんな「おすそ分け」の精神で、直接知っている人の元へ届ける「ここく」な取り組み。
「顔の見える野菜」というのが最近はよくありますが、作り手側からは何も見えません。見知らぬ誰かににっこり笑う姿は私には切ない感じがします。
このみそみそ便を始めてみて気づいたのは、誰に届けるか分かっているとちょっとしたことでも気持ちが入るということです。常に待っていてくれる人がいることは作り手にとって本当に励みになります。
名前を知っているだけでも存在感が全然違ったり。家族のようになる必要はないと思いますが、私にとっては待っていてくれるというだけでかわいらしく、年齢関係なく自分の娘に届けるような気持ちで毎月お届けしています。
寄稿:オーガニックって何?
このわかりにくい言葉、「オーガニック」を辞書などで調べると、今度は「有機」という、またよくわからない言葉が出てきます。
「有機」の「機」は「はたらき」という意味での「機」。つまり「はたらき」が「ある」のが「有機」、ないのが「無機」。
何が「はたらく」のかといえば、そのもの自身です(?)。
例えば「有機肥料」は、動物のフンなどを土の中にいる微生物が分解して作物に必要な栄養素を作ります。このフンをつくるのは家畜のはたらきであり、それを分解するのも微生物のはたらきによるものです。
対して無機肥料、つまり化学肥料は作物に必要と思われる栄養素、そのものの化学物質。それが肥料として作物に取り込まれるまで、何かがはたらくことはありません。ほぼそのまま吸収され、とても効率的です。
要するに「はたらき」は「生命の営み」。「はたらき」を「命」と置き換えるともっとわかりやすいです。
命があるもの、ないもの。
「命がある」ということは「心がある」ということでもあります。
「あの人は無機質な人だ」と言ったら、とても冷淡で、何でも数字で判断するような心ない人を指しますよね?
逆に「あの人は有機質な人だ」なんて言わないのは、それが当たり前だからです。人は生きていて、命があって、心がある、情がある。
人に対しては「有機」なんてわざわざ言わないのに、食べものに関してわざわざ「有機」をつけるのは、効率を優先するために大量生産された心のない「無機」な食べものが増えたからでしょう。
味噌でいえば、本来は酵母が生きていて発酵するはたらきを続けますが、そのまま包装すると酵母のはたらきでガスが発生して容器が破裂してしまううえ、味がどんどん変わっていくので流通の都合上困ります。
このため添加物や熱を加えて殺菌し、常温で店頭に並べられるようにした味噌が言うなれば「無機味噌」ということになります。
どちらがいいのかは価値観の問題ですので、正しいとか間違っているとかはないと思います。
ただ大事なのは、この効率を優先した無機的な流れは戦後急速に発展してきたということ。
「効率」や「便利」によって失われた有機的なことがたくさんあるということ。
そして少なくとも自分の心は、どう頑張っても「無機」にはなれないということ。
* * *
少し前までは、わざわざ言うまでもなく「有機」があたりまえでした。私たちの祖先はずっとずっと有機的で、命や心のある暮らしをしてきました。
そう考えると、この風土とともに培われてきた「日本文化」と「オーガニック」は切っても切れない関係にありそうです。
それなのに「オーガニック」という海外文化を紹介する時のカタカナで、過去の日本文化を紹介しようとしている・・・そんなちょっとおかしなことになっています。
「スローフード」や「ロハス」も同じ。
カタカナで表現すると、なんだかオシャレで新しい感じがするのでたくさんの方が振り向いてくれます。
でも一方で、それは日本文化でない「ファッション」となり、人を選ぶようになります。
考え方よりも、目で見たものが先に入ってきてしまい誤解されやすくなります。
「オーガニック」はヒゲを生やすことでもないし、麻の服を身にまとうことでもなくて。
過去に海外で生まれたヒッピー文化と結びつきやすいので余計に誤解されてしまいがちです。
生命が本来もっているはたらきを大切にしたり、命や心を大切にした結果として、それが服や家や食べものなどの目に見えるものに反映されていく。
ひとそれぞれ大切にする方法は違うはずだから、押し付けるものではないと思います。
* * *
「化学物質は危険だからオーガニック」「安全だからオーガニック」
・・・そんな声をよく耳にしますが、天然は安全なのかといえば、決してそうではありません。
例えば天然のトマトを化学物質の元素記号に置き換えて、含まれている成分を表にできるのかといえば、到底できるものではないそうです。
複雑に絡み合った物質や、その他含まれている多くの分解酵素が体の中の物質をどう変化させるのか
さらにその変化した物質がどう影響を与えるのか
何万とある物質それぞれがどのように働くのかを解析することなんてできないんだそうです。
そんな無数に含まれている物質の1つか2つを取りあげて「体にいい」と言っているのはなんだかおかしな話ですね。
逆に体に悪い成分については紹介されることはありません。いや、そもそも体にいいとか悪いとか、どういうことなんでしょう?
化学者から見れば、何がどれだけ含まれていてどんな働きをするか分かっている無機の化合物のほうが、何が入っているのか分からない天然のものより安全だと言う面白い話もありました。
もしかしたら「自分の体を食べものを選んでコントロールする」という考え方自体が、とても無機的な考え方なのかもしれません。
私たちの体は有機。
* * *
ここくは「オーガニック」という言葉を使いませんが、日本の言葉で同じことをずっと伝えているつもりです。
味でもなく、形でもなく、成分でも価格でもない本当に大切にしたいこと。おはなしのある食べもの。
滋味はこころの豊かさに。