ここくについて
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宮崎に移住して6年が経とうとしています。写真は出店しているところに来てくれた子供たち。移住して来た当初は園児だった子供達も、今では小学校の2年生と5年生です。

私は静岡県の浜松市に生まれました。高校を卒業して富山に4年住み、大阪で3年半修行してグラフィックデザイナーになります。その後独学でWEBデザインを勉強して東京へ。2002年にフリーになってからは大手化粧品会社のWEBサイトをはじめ、ありとあらゆる業種のWebサイトを製作させていただきました。

10年住んだ横浜。新横浜に借りていた事務所では、いつもひとりでパソコンの画面に向かっていました。仕事の報酬は銀行に振り込まれ、増えたり減ったりする数字を追いながら、時間に追われてなんとなく日々は過ぎ去っていきます。命を削るように睡眠時間を減らし、徹夜をしてつくりあげるものは実体のないデジタル信号でした。

「全てが虚無なのではないか?」・・・時折そう錯覚することもありました。

そんな虚無感を抱えながらいた時、偶然手に取った文庫本はスローフードの本でした。それまで全く「食」というものに関心がなかった私にとって、書かれていた内容は目から鱗のことばかり。その時、「食」の向こう側に自分の虚無感を埋めてくれる何かがある気がしたのです。食にまつわる多くの社会問題についても初めて知ることとなり、「伝える」仕事をしている以上、こうした意義あることを伝えられたらどんなにやりがいがあるだろうとも感じました。

それから食に関する本を片っ端から読むようになり、食の情報を網羅するサイトを作ったりもしましたが、やはり情報だけ画面越しに見ていても本当に大切なことは何もわからなかったのです。気づけば自ら畑に立ち土に触れたくなっていました。

ひそかに妻のふるさと宮崎への移住を決め、5年間の準備期間を経てあと1年で移住という2011年3月11日、東日本大震災が起きました。子供たちを連れ最初は一時避難のつもりで宮崎にきましたが、結局移住の計画を前倒しして義理の母のところに転がり込むことにしました。

横浜の事務所など全て引き払って急遽やってきた宮崎。保育園や子供の病院、仕事など、いろいろ環境が落ち着いたころから念願だった農業研修へ。1年後に自分で畑を借りて2013年5月に「ここく」が生まれました。

急な予定変更はいろいろと大変でしたが、たくさんの出会いに恵まれ、とてもいい決断だったと思っています。また、東日本大震災で感じたことはものすごい大きなものがあり、間違いなく今のここくに大きな影響を与えています。

・・・もうひとつ、大きな影響を与えていることがあります。
無農薬で栽培する理由です。

宮崎に移住することを決めた頃、4歳になって間もない息子の顔がむくみ出し、保育園の尿検査でひっかかりました。再検査に行くと即入院。腎臓の病気です。すぐに終わると思っていた入院はズルズルと3ヶ月も続き、下の娘はまだ1歳だったこともあって生活が突然めちゃくちゃになりました。

毎日30分地下鉄に揺られて面会に行く日々。「うちの子に限って大丈夫」という根拠のない期待は検査結果を聞くたびに裏切られました。転院などもしながら何度も何度も検査をした末、小さな体にカテーテルを刺し、直接腎臓の組織を採取することでようやくつけられた病名は「IGA腎症」。インターネットで調べてみると一番見たくなかった文字が目に入ってきました。

「難病」・・・原因不明、治療方法は確立されていないとのこと。よい経過をたどったという報告がいくつかあるという、ステロイドを大量に投与する治療はあまり効果もなく、顔の形だけがどんどん変わっていきます。何をされているかわかっていない無邪気な子供の姿は見ていて本当に辛いものでした。

特に辛かったのは小児病棟に大人が泊まれなかったことです。毎日午後から面会が許されますが、20時になったら「行かないで〜!!」と泣き叫ぶ息子を振り払うように家に帰らなければなりません。地下鉄に揺られながら、がんばっている息子を置き去りに背中を向けてどんどん離れて行く感覚。時に「非情」にならなければいけないほど、それは過酷な帰り道でした。

親が泊まれないのは厳しい規則ですが、小児病棟にいるのはステロイドを投与され免疫機能が下がった子供達です。病棟は厳重に隔離されており、その子達を守るための止むを得ない規則でした。

ある日、新しく同じ大部屋に入って来た子がインフルエンザを発症し、うちの子供が大部屋ごとたった一人にされて隔離されたことがありました。病院から連絡を受け、顔面蒼白で会いに行くと、感染しないよう帽子・エプロン・マスクの完全防備での面会。当然といえば当然の処置ですが、親にまでバイキン扱いされているような対面は申し訳なくて悔しくて・・・そんな気持ちをよそに、息子は嬉しそうに今日読んだ絵本のことを教えてくれるのでした。

親として何もしてあげられることができず、なんでも治せると思っていた西洋医学はあてにならず、ワラをも掴みたい想いで過ごしていた時、保育園の先生達がこんなものをもって病院を訪れてくれました。クラスのお友達がうちの息子と遊んだ日々を思いながら「またあそぼう」「ずっとともだちだよ」とメッセージを書いて送ってくれたのです。

みんな赤ちゃんの頃から見ている我が子のような存在です。すっかり病室に取り残されてしまった息子でしたが、みんなしっかり覚えていてくれました。

こんなにたくさんの子たちが想ってくれている。
だからきっとよくなる。

・・・なんの根拠もありませんが、そう信じる勇気をもらいました。「想い」という、科学では馬鹿にされてしまうようなこと。科学は何でもできる、人間は何でも治せると信じていた自分を恥じながら、「感謝」とともに涙を流して泣きました。

そんなみなさんの甲斐あってか、半年後に行なった扁桃腺摘出手術のおかげでみるみる状態はよくなり、宮崎に転居してからもよい先生にめぐまれ、3年間の薬の服用、服用終了してからの経過観察も順調に経過。今では寛解(かんかい)状態となって(完治はありません)毎日元気にサッカーで走り回っています。

「原因不明」ということでしたが、私は食に原因があったのではないかと考えています。当時から決して気をつけていなかったわけではないのですが、やはり考えが甘かったのではないか…とたくさんたくさん後悔しました。発達段階の幼児が食べて影響があるかどうかなど、調べようがないのです。安い、おいしいという理由で、「うちの子に限って大丈夫」と都合よく解釈していたことを心から後悔しました。

健康な方にはなかなか分かっていただけないですが、体が悪くなった時、特に自分の子供など、大切な人と突然会えなくなってしまう悲しさを知っていたらこれほど気をつけたいことはありません。一緒においしくごはんを食べられるって本当に幸せなことです。

効率を優先するあまり見失ってしまう大切なこと。多くの人は何か異変があってから気づきます。
当然のことですが、ここくが作っているものは私たち家族も食べているものです。

・・・そんないろいろなことがあって、今ここくがあります。
私たちの体験した辛い日々、息子が身をもって教えてくれたことを無駄にしないために。みなさんが毎日笑って健康でいられるように。
確かな食をこれからも届け、食を通じて大切なことを一人でも多くの方に伝えていけたらと思います。

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